アレクサンダー・テクニークのレッスンを受けていた初期の頃、秒針を見るように言われたことがあります。そのときは意味もわからずただ秒針が動くのを見ていただけでした。その次はトレーニーの実習のときにハッと思い出して時計をみるといつの間にか時間が過ぎていたという体験でした。
仕事で串打ちをしながら時計を見ていると、思考の中に意識が入りこまないで打てることがわかったのが最初です。このときはまだスピードが遅かったので秒針を見ても変化が感じられなかったため見ていたのは長針でした。その次に時計を見なくても1,2,3,とカウントしながら串打ちをしてみたら、思考の中に意識が入って行かないで串打ちできることがわかりました。このあたりから、自分の中で秒針の流れを感じることができるのがわかるときが何回かありました。早く打てるようになってくると秒針を見ることもできるようになってきました。
私がやっていたことは、時計の針をみていてもカウントしていても自分を早く早くと追い立てるものではないということです。思考の中に意識が入りこまないようにすることそれだけです。しかし、明らかにスピードは変わります。
この思考の中に意識が入りこまないようにするというのは、外の世界と意識がつながっているということかなとなんとなく思い始めています。私は時計の針から始まりましたが、トレーニーのときによく聞いたセリフ「部屋の中のものを見る。一緒にいる人を見る。部屋の外の車の音を聞く。」なんかもその類ではと思います。
歌・ダンスにも同じことがいえるのかもしれない。まだ私はできていないので想像ですが、自分でリズムを刻むとかドラムの音を聞くとか、同じような気がします。
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思考の中に意識が入ってしまう
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