・・・1・・・F.M.アレクサンダーのストーリー

俳優だったアレクサンダーは自分で解決方法を見つけようと決意します

F.M.アレクサンダーは俳優でした。喉を痛めて舞台で声が出なくなりましたが、医者には原因が分からず根本的に治すことはかないませんでした。一方、普段は気にならないのに、舞台で声を使うと症状が悪くなることから、舞台で自分がやっている何かが原因と考えました。そこで、自分で解決方法をみつけようと決意します。

そして朗読するときに癖として現れる、不必要な無意識の反応をやめていきました。そうしているうちに、声のトラブルは喉だけの問題ではないことに気づきます。身体全体も声を出すことに関わっていたのです。そこに思考も影響を与えていました。何年も地道な作業を繰り返し、挫折も味わいながら、声と喉のトラブルを解決し、今日アレクサンダー・テクニークと呼ばれるものの基礎を確立していきました。

このテクニークは今日、俳優に限らず様々な痛みや問題を抱える人の役にたっています。

・・・2・・・アレクサンダー・テクニークのレッスンを始めると

新しい自分の使い方を身に着けていきます

アレクサンダー・テクニークのレッスンを始めると、生徒はいつもと違った新しい自分の使い方を体験し、身につけていくことになります。一時的に今までできたことができなくなる時期がくる場合があるので、レッスンを始めるのは大事な本番や舞台の無い時期がいいかもしれません。レッスンが進んで新しい自分の使い方ができるようになると、その新しい自分の使い方で今までよりも楽にコントロールできるようになっていきます。

・・・3・・・新しい自分の使い方とは

姿勢というのは日常生活から切り取った一瞬にすぎません

身体にいいこととはどういうことでしょうか。ほとんどの人が座っているときの姿勢や、立っているときの姿勢を良くしようと考えます。けれどもこの姿勢というのは、日常生活から切り取った一瞬にすぎません。

では、椅子から立ち上がるときはどうしますか。椅子に座るときは。アレクサンダー・テクニークでは、椅子に座っている状態から立ち上がるまでの経過もレッスンの対象です。姿勢に留まらず、動きの中での身体の使い方を見直します。立ち座りから始まって、あらゆる動きに対応できるように、身体の使い方を身に着けていきます。

では、「もっと速く」「それは違う」と怒られる、注意される、または失敗をして歌う、踊る、歩く、作業をする。このときの身体の使い方はどうでしょう。多かれ少なかれそれは思考や感情の影響を受けます。アレクサンダー・テクニークではこのときの身体の使い方もレッスンの対象になります。そして、思考も含めて自分の使い方を見直していきます。

そうしてアレクサンダー・テクニークのレッスンを通して身につけていくものが新しい自分の使い方なのです。

・・・4・・・アレクサンダー・テクニークは教育です

アレクサンダー教師が整えるのではありません

算数の先生は生徒に問題の解き方を教えます。先生が解いて見せることはあっても、生徒の代わりに問題を解くことはありません。

同じようにアレクサンダー・テクニークは教育です。教師が生徒の身体に手を置いてレッスンを進めていきますが、アレクサンダー教師が生徒の身体を整えるのではありません。アレクサンダー教師は、自分をどのように使えばその身体が効率よく負担もなく能力を発揮できるかを、新しい体験として生徒に教えるのです。自分を使うのは生徒自身。生徒自身が新しい自分の使い方ができるようになると、そのいい自分でい続けることができます。アレクサンダー教師はそのお手伝いをします。

・・・5・・・アレクサンダー・テクニークは医療行為ではありません

身につけた新しい自分の使い方は一生ものです

アレクサンダー・テクニークは医療行為ではありません。手を置きますが、治療・施術・マッサージとは異なります。あらゆる行動の土台となるものを見直していくため、地道な努力や時間が必要となりますが、今やっているまたはこれからやろうとしている他の何かを邪魔することはありません。そして身につけた新しい自分の使い方は一生ものです。

・・・6・・・外からやってくる情報の捉え方

どのような環境でもブレることのない心と身体を身につけていきます

アレクサンダー・テクニークのレッスンでは、困りごとの元となった原因を過去に遡って追求しません。原因が自分以外にあるのではと探ることもしません。今現在自分に現れていることにアプローチするだけです。外からやって来る情報の捉え方、それに対する自分のあり方も考えていきます。そして、どのような環境に置かれてもブレることのない心と身体を身につけていきます。

アレクサンダー・テクニークについて、ここで書ききれていない事を更にブログに載せています。

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