NotebookLMの未公開音声解説から、次の引用は解釈が異なるものです。架空の二人をCさんとDさんにします。
C:
そこで アレクサンダーテクニックが提案するのはまず抑制インビションという考え方です。D:
抑制。C:
はい。これは何かをしようとしていつもの習慣的な反応、ブレーキが自動的に起こってしまうその直前で意識的に一旦停止すること、その反応をやめることを選択するんです。D:
いつもの反応をやめる。C:
そうです。そしてその抑制によって古い習慣つまりブレーキの流れを立ち切った上で次に行うのが方向付けダイレクションです。D:
方向付け。C:
これは抑性によって生まれたその間の中でより望ましい効率的な体のあり方を具体的な指示として思考することなんです。D:
NotebookLM未公開音声解説から
へえ。面白いですね。抑制でブレーキを解除して方向付けで新しいよりスムーズな動きアクセルへと導く思考をすると。
上の引用では、抑制で「ブレーキを解除」して、方向づけで「アクセルへ導く」と発言していますが、そこが違うところです。アレクサンダー・テクニークでは、自分の間違った使い方として「不必要なブレーキをかけながら過剰なアクセルを踏む」という言い方をします。
この自分の間違った使い方において、不必要なブレーキは「頑張り過ぎている筋肉」ですが、過剰なアクセルも「頑張りすぎている筋肉」です。本来は必要ないのに、やらなくてはいけないと身体が思い込んでいることが不必要なブレーキとなって自然な動きを鈍らせ、それに対してやらなくてはいけないという思考が必要以上に過剰なアクセルを踏ませるのです。このときの不必要なブレーキも過剰なアクセルも、必要以上の力を使っているし、本来働かせる必要のないところを働かせています。
つまり、抑制するべきなのは、「本来必要のないブレーキ」と「やらなくてはいけないという思いから、目的を達成するべく手段を見直すことなく必要以上に踏み込んでいるアクセル」の両方です。
すると、方向づけすることで起こることは、次のとおりです。本来必要のないブレーキは使うことなく、必要以上に踏み込んでいたアクセルをやめて、身体全体が必要最小限の力で拮抗するように働くアクセルが機能するということです。Dさんがそれを、「新しいよりスムーズな動き」と表現していることは合っています。
次は、2025/8/5に youtube 公開した opposition 拮抗する からの引用です。
C:
アレクサンダー・テクニークが目指すのはそのアンバランスをなくして全ての筋肉が必要な分だけちょうどよく働く状態。そのためには筋肉同士のその拮抗作用、つまり互いにバランスを取り合う力をうまく使うその理解が不可欠になってきますね。D:
なるほどなるほど。創始者の FM アレクサンダー自身の話、あれにも通じそうですね。彼が俳優だった時に声が出にくくなる問題で鏡で自分をこうじっと観察したんですよね。C:
ええ。D:
NotebookLM(2025/8/5公開)-oppsition 拮抗する から
で、声を出す時に無意識に頭を後ろに引いて下に押しさげるっていう癖があるぞと気づいた。しかも単にその癖をやめるだけじゃなくて頭が前へそして上へ向かうようにこう意識的に方向付けることが大事なんだって発見した。これもまさに長年の癖っていう不要な力に対して意識的に拮抗する方向を見つけたってことなのかな。
最後のDさんの発言からです。癖をやめることが「抑制」ということはわかります。頭を後ろに引いて下に押し下げるという不必要な力をやめることです。さらに頭が前へ上へ向かう「方向づけ」も大事だとあります。
問題はこの次の文です。「不要な力に対して意識的に拮抗する方向を見つけた」。この文では、不要な力はそのままで、それに拮抗する力を方向づけとして加えていることになります。無くしたい不要な力が頭を後ろへ下へ向かわせ、起こってほしいのは頭を前へ上へ向かうこと、として、いかにも拮抗しそうな反対方向を示していますが、拮抗させることはしません。なぜなら、頭が後ろへ下へ引き下がっているときには、頭が前へ上へ向かってはいないからです。つまり、このとき拮抗しているのは、身体全体で頭の影響を受けているどこかがバランスをとって拮抗しています。これを抑制すると、頭が後ろへ下へ引き下がる癖がなくなると同時にそれに拮抗していた身体全体のバランスも変わります。そうして、頭が前へ上へ向かうときには、身体全体で頭の影響を受けているどこかがバランスをとって、新しい拮抗が起こるようになります。
<本文中に関連するリンク>
方向づけ(direction/ダイレクション)に関する記事
アクセルとブレーキに関する記事
拮抗することに関する記事